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緑と狼ブログ

緑と狼用ブログ2007/2/22設置

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2024/04/29(Mon)13:39

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フランス滞在最終日

2007/05/01(Tue)22:28

Le 1 mai 2007

帰国日

世話になった邸宅の自分の部屋に掃除機をかけ、雑巾がけをする。
フェイサルの用意してくれたシーツを洗う。
荷物の整理をする。
鍵を返す。

一息ついて、キッチンでお茶をしていると、急に寂しくなる。
また、会えるだろうか・・・。

今回の旅で再会した人、出会った人、場所、道、物、音、匂い・・・
アーティスト達と共に生活しながら、一度も絵を描くことのなかった時間

けれど、温かい紅茶を一杯飲み終わると、結局は自分次第なのだということに気付く。
そう思うと元気になる。

明るい顔で邸宅の皆に礼を言い、次来たときは一緒に制作をしたいと言い残し、世話になった場所を後にする。

空港へは北駅RERで向かう。北駅までは歩いても、地下鉄でも大した距離ではないが、大きなスーツケースを持っての移動は勧められないと言われ、タクシーで行く。北駅校内は、RERで空港に行く人も多いためエレベーターが整備されているので荷物に関しては問題ない。

RER 北駅→シャルル・ドゴール空港 8.1ユーロ

空港に到着してから、ターミナル(今回はターミナル2)までは結構な距離がある。とはいえ、動く歩道があるのでゆっくり行けば大したことはない。搭乗手続きをし、荷物を預けると後は身も軽くなる。飛行機に乗る前、携帯で何人かに電話をかけるが皆留守電だった。唯一1人だけつながったので短く話し、再会を楽しみにしていると言って電話を切る。

飛行機が飛び立つとき、次は大分先か長期滞在になるかもしれないと、なんとも矛盾した予感がひらめいた。あてにならない予感はさておき、またフランスの土を踏みたいと思う。

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フランス生活29日目

2007/04/30(Mon)21:48

Le 30 avril 2007

朝、洗濯をしていると、スルギが歯を磨いていた。お勧めの公園はあるか?と聞くと、まずリュクサンブール公園の名があがったが、そこはいったことがあるので他を教えて欲しいというと19区にある「Parc des Buttes Chaumont」(ビュット・ショーモン公園)を勧められた。いくつもの丘があり、恋人達や家族連れが思い思いに時を過ごしていて気持ちよいとのこと。この近辺は自然があるのみで周りは何もないからと、マレ地区の小さい公園の方が良いかもしれないと教えてくれたが、丘という言葉に惹かれ、ビュット・ショーモンに行ってみることにする。

ビュット・ショーモンは聞いていた通り、いくつもの丘があり、上に登るとパリの街が見渡せる。公園内には池や滝(怪しい噂があるらしい)もあり、かなり広い。パリにもこんな場所があるのかと、帰国間際になって知ったことを残念に思う。もっと早く来ていれば他の森にも足を伸ばせたのに・・と。

ここは、林があり、その影が日中の照りつける日差しを和らげてくれる。適当な岩を見つけ、座り込んだら当分は動けなくなるほど、気持が良い。時間をたっぷり過ごそうと、次回の展示会にむけて作品の構想を練る。刺激的ではないが、ゆっくりと考えごとをするにはうってつけの場所を見つけられて、なんだか得をした気分になる。

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ビュット・ショーモン公園

No.42|フランスComment(0)Trackback()

フランス生活28日目

2007/04/29(Sun)21:23

Le 29 avril 2007

昨夜はなかなか寝付けず、結局朝方向いの木にとまる鳥の鳴き声や屋根の上におりて歩き回る鳩の羽音が聞こえても目が冴えていた。それでも、鳥達の音は騒音ではなく、木の幹の根元や、屋根の上で行われている朝の一仕事を想像する愉しさを与えてくれた。

それから、やっと少し浅い眠りが訪れ再び目を覚ましたのは10時ごろだった。11時に仕度を整え出かける。Vanves(ヴァンヴ)の蚤の市に出向くためである。

■Le marche aux Puces de Vanves(ヴァンヴ蚤の市)
http://pucesdevanves.typepad.com/

ここはガラクタ市とよく敬称(?)されるようだが、色々なものがあまり広くない界隈に集まっていて一度に見られるのでなかなか面白い。けれど、どれも割合いい値段がついていたりする。交渉次第で安くできるものも多いだろうが、ひとしきり店を見て引き返す。

途中、深い赤色の水差しが美しく値段も手ごろだったが、どうしても色が自分の家のどの場所にもあてはまらないと、断念する。帰ってみると、やはりあの水差しは違う場所の方が素敵だろうと、買わずに帰ったことを良かったと思う。今頃、どこかの家庭のもっと良く似合う場所で使われているかもしれない、と想像するのもなかなかよいものである。

邸宅に帰り、予定通りカレーを作る。皆、日本からのカレールーに興味深々のようだ。夜はそれぞれに予定があるようだったので、炊飯器(なんとこの邸宅には炊飯器があったのだ!)でご飯を炊き、鍋に「日本風カレーをご自由に!温めてご飯の横に添えて食べて」と書き置きを残す。

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壁に並べられた調理器具

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日本に持って帰りたいと思ったトマトのポスター

外は雷をともなう大雨が降っていた。昨晩、「雨の匂いがする」と思ったのは気のせいではなかったようだ。今回、フランス滞在中の本格的な雨は今日が初めてだ。昨日までの暑さを考えタンクトップで出かけようとするが、この雨のため空気はひんやりとしている。部屋に戻り、皮のジャンバーをとって出かける。

雨はあまり好きではないが、パリで雨に降られないとなんとなく落着かない。勢い良く振付ける雨でぬれた地面は、昨日までの埃を洗い流され色濃くなっている。真っ青な空とどんよりとした灰色の空、両方を見られて良かったと思う。

badoit.jpg









この日飲んだガス水「Badoit」(バドワ)
色は違うけど、内容物は一緒

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フランス生活27日目

2007/04/28(Sat)00:24

Le 28 avril 2007

近くのスーパーにカレーライスの材料を買いに走る
・じゃがいも
・人参
・マッシュルーム
・玉ねぎ
・鶏肉

邸宅の皆に明日カレーライスを作る予定(ルーは日本から持参)。明日はスーパーが休みのため、今日のうちに買出しだけ行っておいた。日本風カレーライスがヨーロッパ人にウケがいいのは既に実証済みだったので、評判についての不安はない。

今日はメトロのIENA(イエナ)駅より歩いてすぐの場所にある、「Palais de Tokyo」(パレ・ド・トーキョー)と「Musee d'Art Moderne de la Ville de Paris」(パリ市現代美術館)に行ってみることにする。両方ともコンテンポラリーアート(現代美術)のみが展示されていて、スルギのお薦めだった。

イエナの駅に着くと、ちょうどマルシェが立っていた。すでにいくつかの店が店じまいをしようとしている時間だったからか、一番手前のお店では残った果物や野菜の安売りをしていた。

私は運良くこの店でまたもや「Gariguette」(ガリゲット)という苺を2パック3ユーロで買うことが出来た。白アスパラガスの束もかなり値引きをしていたが、重いそれを持って美術館巡りをすることを思うと手が伸びず、惜しいことをした。

■「Palais de Tokyo」(パレ・ド・トーキョー)
http://www.palaisdetokyo.com/

パレ・ド・トーキョーでは「Nouvelles du monde renverse」という展示会をやっていた。このタイトルは色々な意味で取ることができるので、今の私の語学力で日本語訳することは避けたいと思う。

アイデアは物理学者らから始まり、テーマは逆転、倒壊。50億年後に焦点をあてたときに考えられる大変動、大異変などを題材とし、5名のアーティストによる展示と集団による2つのプロジェクトが展示されていた。

とりわけ、興味深かったのが「Michel BLAZY」(ミッシェル・ブラジー)の「Post Patman」という展示。

ミッシェル・ブラジー:1966年生 フランス人
 
展示室に入ると異様な熱気と異臭でここが美術館なのかと眼を疑うが、それは確かに彼によるインスタレーションの場で、様々な植物や食べ物を利用して造られたそれらは元の様相を留めない形で作品となっている。展示期間中に変化し、腐敗したらしいそれらの作品は、今回のテーマに沿った異空間を作り上げるのに成功しているようだった。

art2.jpgart3.jpgart1.jpg









壁面(米粉と水)  壁面(きのこ)   壁面棚上(オレンジの皮)

きのこやオレンジの皮はアーティストが時折足している

art7.jpgart8.jpgart5.jpg









床面鳥(チョコレート) 床面丸い球体(春雨) 床面骨(犬のえさ)

壁面は野菜のピュレや水などを混ぜたものが塗られている


■「Musee d'Art Moderne de la Ville de Paris」(パリ市現代美術館)
http://www.paris.fr/portail/Culture/Portal.lut?page_id=6450

パリ市現代美術館では2つの展示会が執り行われていたが、時間の都合もあり1つを選んで見ることにした。

「une grande rétrospective de l'oeuvre de Peter Fischli et David Weiss」
ペーター・フィッシュリ& ダヴィッド・ヴァイス大回顧展)

Peter Fischli & David Weiss
スイス人の2人組みアーティスト
http://www.tcfilm.ch/fischli.htm

日常のありふれた材料やステレオタイプなイメージを用いフィルム、写真、映像、インスタレーション、造形にいたるまで幅広く制作。1979年から共同制作してきた彼らの軌跡を辿る回顧展

次の2作品は床に座って映像を見た。時折笑い声がもれる。

Der Lauf Der Dinge「事の次第」(1987年)
倉庫の中に一列に並べられたバケツやタイヤなどの多種多様なモノたちが、触れ合って倒れたり、重力によって転がるなど、影響を受けゆるやかにつながり続ける過程を30分間絶え間なく捉えた実験映像作品。

→本編映像と共に、映像の制作工程が写されていた。彼らはこの30分のために途方もない時間を実験に費やしている。

Der Rechte Weg「正しい方向」(1983年)
冴えない中年動物のネズミとパンダが自然の中を旅するなかで色々な出来事に遭遇するストーリー。 

彼らの作品は挑戦的で大胆なものと日常的で普通なものが共存している。それがブラックなユーモアにとんでいたり、非常に深いメッセージをおびていたりして、そのテンポが小気味よい。


美術館を出て、GergeV(ジョルジュ・サンク)大通りに向かって歩いていくと、途中「Ediard」(エディアール)を見つけたのでエクレアを1つ買って食べる

eclair1.jpg







Eclair  au citron(レモンエクレア) 3.9ユーロ

シャンゼリゼのLadureeでケーキも買う

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あまりにも有名なIspahan(イスパハン):ローズマカロン・フランボワーズ・ライチクリーム

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この夜飲んだガス水「st-Yorre」(サン・ティヨール)
ナトリウムが強くて、かなり癖があるが、好きな人は好きなよう

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フランス生活26日目

2007/04/27(Fri)17:53

Le 27 avril 2007

昼食にポトフ屋でポトフを食べず、ブイヨンスープとタルトタタンのみを食べたあと、邸宅に帰る。

帰宅後、30分程して、鍵がないことに気付く。
あるはずの鞄の中に、邸宅の鍵がない。確かに自分の鍵で扉を開けて入ってきたのだから、30分前までは確実に手元にあったのだ。どうせ鞄の中のどこかに埋もれているのだろうと、落ち着き払って鞄を隅々まで探してみるも鍵は見当たらず、来ていた服のポケットや、買い物袋の中にもない。そろそろあせりだした私は、鞄の中身をベッドの上に全てひっくり返し、鞄を折り曲げたり、逆さにしたりしてどこかに隠れているはずの鍵を探した。それでも見つからない鍵はもしかしたら、扉に挿しっぱなしにしてきたのかもしれないと、入口をあけてみるが、鍵穴には私の鍵は見当たらなかった。

自分で言うのもなんだが、私は大事なものをなくしたことはない。いや、ほとんどない。
「大事なもの」の尺度はもちろん人によって異なるため、ひとくくりには出来ないが、今回の「鍵」は”借りたもの”ということ、”生活を守るための道具”ということもあり、非常に「大事なもの」だったわけだが、それをなくしたとあって、私はかなり焦った。

邸宅に残っていたスペイン人の女性アーティストに尋ねても知らないといい、制作活動に没頭していたフランス人アーティストに尋ねても見ていないという。

「でも、心配しなくても大丈夫だよ。大したことじゃない」という彼に

「けれど、もし鍵穴に挿しっぱなしにしたものを誰かがもっていったのなら、いつでも入れてしまうのよ!」と切り返してみるが、

「まぁ、それも可能だけど・・・、大丈夫、心配しないで」と言う

彼には責任がないからか、そんな能天気なことを言っているが、こちらとしては大いに事件なため、必死の形相をしていたのであろう。結局、この邸宅の管理者的存在のフェイサルは仕事中だったため、どこからか彼女であるカポニを見つけてきてくれた。事情を話すと、彼女からも意外な答えが返ってきた。

「大丈夫よ、大したことじゃないわ」

結局同じ説明を繰り返すも

「でも、ここは外のゲートにもコードがいるし、鍵には住所なんて書いてないから大丈夫。あなた外出するのだったら、この鍵を使うといいわ」と違う鍵をよこしてくれた。

鍵を無くしたことで外出を諦めることを考えていた私に彼らは
「大丈夫、大丈夫、いってこい」と言う。

フランスは泥棒も多いけれど、アーティスト達の邸宅には金目のものがない(かどうかは知らないが)から相手も場所を選ぶだろうという安心感があるのだろうか?どちらにせよ、拍子抜けした私は、その言葉に甘えて出かけることにした。

少し落着いたため、もう一度自分の行動を振り返り、やはり鞄の中以外考えられないとメトロの中で先ほど散々探したその中を探ると手に固いものが当たった。あわててその固いものを取り出すと、それは私のなくした(と思っていた)鍵だった。

結局、そんなものである。

迷惑をかけてしまったことを恥じながらも、これで泥棒への恐怖に悩まされることもないと、心の底から安堵した。

こうまでして出かけたかったのには理由があり、そこに行くのはどうしてもこの日でなくてはならなかった。
人には誰でも秘密があるが、私もこれをささやかな自分の幸せのためにとっておこうと思う。

皆さんも、フランスに来られたら、そんな自分だけの場所を作られてはいかがでしょうか?

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フランス生活25日目

2007/04/26(Thu)18:11

Le 26 avril 2007

今日はマレの教会の近くに「le village SAINT-PAUL」(サン・ポール村)といういくつかのお店が集まった一画があり、アンティーク店が多いという話を聞いて行ってみることにする。

路面店もあれば、敷地内に入らないと道路からではまったく見えないお店もあり、門は狭いわりに中へ進むともっと奥があるという造りになっており、なかなかおもしろい。端の方に1軒こじんまりとして趣味の良さそうな店を見つけショーウィンドウ越しに覗いてみると、早速私の目に飛び込んだものがあった。黒い鉄と白い陶器で出来た壁に取り付けるタイプのフックで、今回の旅で是非手に入れたかったものの1つだった。中に入ると、その他にもタツノオトシゴの形をした蝋燭や、真鍮と大型の貝殻で出来た石鹸置き、アンティークの額つきの絵などが狭い店内に品良く飾られており、どれも素敵だった。

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フック

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たつのおとしごの蝋燭


ドイツ人だというお店のマダムによると、この店はアンティークと現代のものをミックスして売っているとのことだった。選ぶ眼によって、美しくもなり、汚くもなる。この店は明らかに前者で、今回はフックと蝋燭を購入したが、次回は貝殻の石鹸置きを手に入れたいなどと、いつのことになるかわからない再来を想像した。

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カフェの窓辺で餌をついばむインコ

parisfleur1.jpg









美しい造花や花器を売る店

その後、散々マレ地区を歩き回った後で、夜ポンピドゥーセンターに赴く。
ポンピドゥーセンターの前には少し坂になった広場があり、多くの人が思い思いに過ごしている。決して綺麗とは言いがたい石畳だが、フランス人は平気で寝転ぶ。その後、一日で着ていた服を洗濯するかは不明。
とはいいつつも、私もこれから入場しようとしている、ポンピドゥーの展示内容を考えると、その前にひとまず休憩を取るのは必須だと思い、その石畳に座り込んで1時間ほど道行く人を眺める。

pompido3.jpgpompido2.jpg











美術館は一般展示が21時迄、企画展が23時迄という日本では考えられない望まれた開館時間のため、かなり遅くに入場してもゆっくりと見られる。結局7時頃入場し、企画展を見終わったときには23時ぎりぎりで、いくらこの時期は遅くまで明るいといっても、あたりはすっかり暗くなっていた。

pompido1.jpg









ポンピドゥーから見たパリ

ポンピドゥーは本当に面白い 
面白すぎて、隅から隅までみっちりと見るため、長い時間がかかるし、かなりの体力を消耗する。出るときには頭がズキズキと痛むほどだったが、やはり来て良かった。

ポンピドゥー 美術館入場券 10ユーロ




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フランス生活24日目

2007/04/25(Wed)23:33

Le 25 avril 2007

今日は、サンジェルマン・デプレ界隈にあるフェイサルの働くギャラリーに出向いてみることにする。あいにく、展示会は昨日で終了し(どうやらロボットの展示会だったらしい)、今は何もないが来てもよいとのことだったので、折角だからと邪魔することにする。

サンジェルマンに着き、少し時間があったので有名な「Cafe flore」に入る。高いことは覚悟していたが、コーラやペリエなど清涼飲料水までが高いのを見て、ここがサービスありきのお店なのだとあらためて思う。結局、フローラ特製の「Chocolat」(ココア)を注文。特製なのにコーラとあまり変わらない値段ならば、やはりコレを飲みたい。きっとここに来る客は値段なんて気にせず頼んでいるのだろう、みな優雅にその場所の雰囲気を楽しんでいる。

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フローラ特製ココア 7ユーロ

結論から言うと、味は最高だ。
濃厚だけれどくどすぎない絶妙なバランスで、カップ3杯分はたっぷりある。そして、サーバーのマナーもそのココアに引けを取らないくらい素晴らしい。パリに来たらやはり一度くらいは美味しいココアを飲むのもいいかもしれない。

フェイサルのギャラリーは少し奥まったところで、周りもほとんどがギャラリーという場所にあった。展示会をやっていないせいか、ドアは閉められ鍵がかかっていたので入れず、途方にくれていると、ドアの横にガムテープをみとめた。ガムテープは少し盛り上がり、下がボタンのようになっていることを想像させた。
ためしにガムテープの上からグッと押してみたが、何も変わらない。どうしたものかと悩んでいると、中からフェイサルが出迎えにきてくれた。
あれ?フェイサル、どうして私が来たの分かったの?」と聞くと「だって、君がベルを鳴らしたんじゃないか」と返ってきた。私が押したのは、どうやらドアベルだったようだ。

何もないといわれていた通り、ギャラリー内はガランとしており昨日まで展示会をしていたとは思えないほど綺麗に片付けられていた。入り口の狭さに比べて中は非常に広く、天井も高いため、展示会場としてはもってこいの場所ではないかと思う。

ビデオ作品を1つ見せてくれるというので、画面の前に座りヘッドホンをかける。
すると、作品らしきものが始まり、何人かの登場人物が日常に良くありがちな出来事を語っている。ただ、途中日本人が登場したときの話の内容は尋常ではなかった。最初は2人が経営しているお店の話、それから夫婦仲についての話にうつり、その後二人の赤ん坊の話になる。抜粋するとこんな感じである

妻「そうそう、前ね、赤ちゃんがね、いたんだけどねぇ
夫「あ~そうそう
妻「連れてかれちゃってねぇ あんときは悲しかったねぇ
夫「そうだね、結構つらかったね
妻「ま、でも今は、まぁ2人も仲よくなったから、フフフ
夫「あー、そうだね、まぁ大分ね

話は淡々と赤ちゃんの誘拐が1つの通過点でもあるかのように語られている。
私は最初この作品をドキュメンタリーと思って見ていたので心底びっくりしたが、後で聞いてみると一般人が他の人の身に起こったことを演じているのだと聞き、肩をなでおろした。

フェイサルに話の内容は大体分かるが、何がテーマなのか分からないと言うと、「現代」との答え。そういわれるとなんとなく納得できる内容だった気がするから不思議なものである。

insect1.jpg









近くにあったギャラリーの昆虫の挿絵が美しい額

ところで、今住んでいる番地の名前は「La villa」(庭付きの邸宅)である。折角だから、今後は邸宅と紹介しようと思う。

邸宅に帰ると、フランス人のシモンと韓国人のスルギがソファーに座って話し込んでいた。声をかけると、今日は何をしてきたのか?と聞かれたので、一日見たものや思ったことを話す。折角の機会だからと日本から持ってきた展示会の作品集を見せると、スルギも自分のを見せてくれた。シモンは途中で眠くなったと退席した。

彼女はパリ芸術大学で学び、今はアーテイストとして活躍しているようで、写真も造形もインスタレーションも行うようだった。インスタレーションでは何mもある巨大なオブジェをモーターで動かしたり、噴水を作ったりしているようで見ているだけで楽しい作品集だった。

NYに行ったときに、ナイフを持って道路を渡ったの。みんな私が何をするかとドキドキ、ワクワクしながら付いてきたわ。途中で警察に思いとどまるように言われたけど決めていたのでそれを実行したの。売店に行ってグレープフルーツを1つ買って、その場でナイフを使って切って食べたのよ。そしたら、みんなすごい歓声と拍手を贈ってくれたわ

そのときの証拠写真であるナイフを持ったスルギは、とても素敵にみえた。

アートの世界だけで勝負している彼らは、とても強い。控えめだけれど、強い意志を持ったスルギはカッコイイ
。アートだけで生きていくのは決してたやすいことではないだろうけれど、彼らの内面はとても豊かで力強い。私もそうありたいと思った。



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フランス生活23日目

2007/04/24(Tue)13:51

Le 24 avril 2007

今日はクリスチャンは休暇明けの仕事。出掛けに「今日は休み明けだから山ほど仕事が待ってるよ、でも昼には一度帰ってくるからまた会えると思う」と言い残していった。
お世話になったお礼に昼ごはんでも作ろうと、近くにあるスーパーに買出しに行く
・生クリーム
・ベーコン
・ズッキーニ
・スパゲティ

そう、カルボナーラの材料だ。
クリスチャンの家には玉ねぎ、チーズ、卵があったのでこれを拝借し、帰宅時間に合わせて用意。けれど、結局クリスチャンが帰ってきたのは1時近くで、スパゲティーは少しゆだりすぎてしまった。

再び仕事に行く彼に「本当にありがとう、またね」とビズーでお別れ。16h頃アミアンを出て、パリ北駅に17h過に到着。そのままサンジェルマン・デプレのJSB・Franceの事務所へ向かい預けてあったスーツケースを取ってタクシーで次の宿泊先へ向かう。

Republique界隈のその住所に着いた時、19h10頃だったろうか。大きな門の前でその場所で合っているか確認しようと上を見上げていた。すると、隣にいたおじさんに「あんたアーティスト?」と聞かれ、なんとなくそう答えたほうが都合が良さそうな気がして「そうだ」と答えると、「それならこの門から入って一番奥にある扉だよ」と教えてくれる。

近所の住民に”アーティストの住む家”として定着しているらしいその場所に泊まれることに期待が膨らむ。

villa1.jpg










言われたとおり、奥に長い通路を歩いてつきあたりまで進むと、後ろから「おーい」と声をかけられる。通り過ぎた倉庫らしき建物の中から「君、今日からここに泊まる日本人の子?」と尋ねられ自分が行き過ぎたことを知る。中から、腰まであるトラッドヘアの男の子と髪を耳あたりで軽く束ねた女の子が出てきて歓迎してくれる。

男の子は「Pierre Alain」(ピエール・アラン)、女の子は「Coralie」(コラリ)と名乗り、フェイサルがまだ戻ってきていないことを教えてくれた。「奥で適当に休んでて」といわれ、そこにあったソファーに腰かけ周りを見回すと、倉庫のようなその広々とした場所には、ソファーと机、パソコン、何脚かの椅子、自転車などが置かれ、何箇所かに描きかけの絵や写真、画材道具が置いてある。ロマンから自分の部屋を使っていいと言われていたけれど、もしかしたらこのソファーでいくつかに区切られているらしいのが部屋なのだろうかと、「ロマンの部屋」を探そうとするが、まったく想像がつかず諦める。

一通り、荷物の整理をし、しばらく待ってみたがフェイサルが帰ってこないためスーパーに買出しに行きたいと申し出ると、コラリが「2箇所あるけど、もう閉まっているかも」といいながら道案内をしてくれた。1ヵ所目は既に閉まっていたが、コラリは「次回のために覚えておくといいわよ、ここ安いから」とそこがお気に入りなのをうかがわせていた。歩きながら話をするうちに、コラリは先ほどの住居の住民ではなくロマンの妹で近くに住んでいること、今日はフェイサルの彼女の誕生日でパーティーがあることを知る。2ヶ所目の場所を詳しく示した後「じゃあ、またパーティーで」と言い残しコラリは帰っていった。

結局2ヶ所目のMonoprix(モノプリ)も既に閉店しており、隣のサンドイッチ屋で水とジュースだけ買って帰る。帰ると先ほどより人が増えていて、パーティーの準備が進んでいるようだった。しばらくボーっとしながら待っていると髪を綺麗に整えて素敵なワンピースを着た黒人の女性が「あなたが、今日からここに住む人ね?」と挨拶しにきてくれた。どうやらこの女性が今日の主役らしく白色に少しピンクがかったチューリップの花束を片手に持っていて、既に何人かから祝福された様子をうかがわせている。

結局フェイサルは8h過ぎにフラッと現れ、軽く挨拶をしたあとパーティーが始まった。12~3人は集まっていただろう皆で「チン」(乾杯)をいいながら主役のカポニのバースデーを祝う。そこに集まる人々はほとんどがアーティストで人種も様々、皆思い思いに話をし時間が過ぎていった。特別なお祝いも出来ないため、日本から持参していた竹箸のセットを出すと、皆大喜びで、ファイサルは刀のように振りかざし喜んでいた。宴もたけなわになったころ、突然電気が消え後ろからろうそくの灯ったケーキを持ったフェイサルが「ジョワイユー アーニーベセール」(音はハッピバースデートゥーユーと同じ)と歌いながら登場し盛り上げ役を一役買った。

0時近くなったころ、皆疲れたと帰り支度を始めた。私は思いの外パーティーが早く終わったことに少しホッとし、片付けを手伝っていると、フェイサルが部屋に案内してくれた。部屋は2階にあり、ベッドと机と椅子が置かれていた。ロマンの部屋はスペイン人の女の子が使っているため、他の部屋になったようだった。シーツと枕をどこからか探し出してきたフェイサルに「自分の家のように使ってかまわないから」と言われ、こんな見知らぬ人間にそんな言葉をかけられるなんて、なんと心の広い人なのだろうと感激する。

その後、トイレの使い方、シャワーの使い方、キッチンの場所などを教えてもらい、鍵を受け取って部屋に引き上げる。気分は高揚していたが、疲れていたためシーツの間にもぐりこみぐっすりと就寝。



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フランス生活22日目

2007/04/23(Mon)01:12

Le 23 avril 2007

朝、6h30と早めの朝食をとる。パリ行きの電車が早い時間だったためホテルの方が気を利かせて、早くに用意してくださったのだ。

チェックアウトをする際に

「これからどちらへ行かれるのですか?」
と聞かれたので

「パリに」(実際にはアミアンだったが)
と答えた。すると

「あなたはラッキーですね、きっと今フランス国内は大いに盛り上がっていますよ」

なんのことだろう?と怪訝な顔をしていると

「今日の朝のニュースではサルコジ 50% セゴレンヌ 48%だといっていましたよ」

(ああ、そうか・・)と大統領選挙の第一回投票の結果が昨夜からテレビのニュースで話題になっていたのを思い出し「昨日のニュースではサルコジ 30% セゴレンヌ 26%だったようだけど、近差で終わったのですね?」と返すと

「次はサルコ セゴの一騎打ちですよ どちらになるか楽しみですね」と関心が深いようである。

今回の投票率の高さを見ても国民全体(フランス国民以外も)が関心を寄せていることがわかる。どちらに転んでもシラク大統領時代と一緒というわけにはいかない。実際に今後の自分達の生活に大きく関ってくるという意識が強いため、関心もいやが上にも高まる。自分の1票が直接結果に結びつくのも投票率の高い要因のようだ。 

チェックアウト後、バスに乗りブルージュの駅へ。そしてまた、フランスのアミアンはクリスチャン宅へ戻るため電車に乗る。途中、乗り換えのリール・フランドルで2時間の空き時間があったため、翌日に世話になる予定のパリの宿泊先に電話を入れた。

パリでは、「Romain」(ロマン)のお世話になる予定。ロマンは、私の日本での友達である「Brice」(ブリス)の親友でアーティスト。けれどロマンは南仏で3ヶ月の仕事のためパリにはおらず、結局「Faycal」(フェイサル)が面倒を見てくれることになっていた。

指示された番号に電話をかけると、まず女性が出た。明日からお世話になる予定の日本人だということを告げると、フェイサルに代わってくれた。

「あ~、よかった。君今どこにいるの?いつ来るの?明後日?」
と聞かれ、前から24日からとお願いしているのに何故彼は知らないのだろうかと、やっぱりフランス人はいい加減なのかもしれないなどと失礼なことを思ったりする。

今は、リール・フランドルでアミアンに行く途中であること、明日にはパリに行くことを告げると、19h過ぎに来てほしいとのこと。

最後に明るい声で「19h過ぎに待ってるよ!」と電話を切ったフェイサルはとても感じの良い人のようだった。
後日、聞いたところ私が数日前に送ったメールを読んでいなかったようで、そのために到着日があいまいだったようだ。いい加減などと思って申し訳ないことをしたなと反省。

その後、電車の中で風邪薬を飲む。実はブルージュの夜は結構寒かったため、風邪を引いたかな?と思うことが何度かあった。その度に早めに風邪薬を飲んでいたため、幸い大事にはいたっていない。旅で風邪を引いていたら楽しさは半減どころか激減である。旅中の予防は楽しく過ごすためのコツだと思っている。

アミアンに着くと、しばらくしてクリスチャンが駅まで迎えに来てくれる。彼の家までは歩くと30分ほどはかかるためバスで行くことを勧められ、そうすることにする。クリスチャンは自転車で来ていたため、わたしだけがバスに乗った。口頭でバスで来てと済まさず、わざわざバス停で無事乗車するのを見届けるためだけに駅まで来てくれた彼は本当に紳士でやさしいなと思う。と同時に真面目でやさしくて十分ハンサムな彼にどうして彼女ができないのだろうとその原因を探ろうかと思うが、余計なお世話だと思いなおし窓の外を眺める。

少し休んだ後、もう一度クリスチャンとアミアンの街に繰り出す。前回一人で見たカテドラルを今度は二人で見物。ガイドブックで勉強したと、色々と説明を加えてくれる。

・教会の正面の彫刻は「最後の審判」のシーンを表しており、向かって左側が天国、右側が地獄だということ

・その周りに表現されている花は藍「indigo」で、その昔この街が繊維で栄えていたことを示していること

・教会内の彫刻の1つはキリストがジャン・バティストによって洗礼を受けているシーンであること

・それに続くシーンでジャン・バティストが裕福な者らによって首をきられていること

・その首だとされている骸骨が反対側の壁にあり、その頭蓋骨には大きな穴が1つあること

・その大きな穴から人々はジャン・バティストが殺される際に槍を突き刺されたという物語を想像し彫刻にしたこと

・教会の中心部にある巨大な木の彫刻は1本の木から作られており、1本の釘も使われていないこと
 そして今はもう誰も真似できないこと

などなど、聖書にまったく疎い私に分かりやすく説明してくれたため、1人で見ていたときとはまったく違う見方ができ、本当におもしろかった。

次にアミアンの中心街から少し外れたところに、湿地帯が地域的に保護されているところがあるというので行ってみることにする。5ユーロを支払うと、カヌーに乗ってその沼の広がる一帯を40~50分かけてガイドしてくれるツアーがあるとのことで是非乗ってみたいと申し出る。

「Maison des Hortillonnages」
54,Boulevard Beauville 8000 AMIENS
Tel : 03 22 92 12 18

このカヌーツアーは船頭が1人、乗客10人程だったろうか。狭い水路を上手に操って進んでいくなかで、色々と説明をしてくれる。私には聞き取れるものと、そうでない言葉があり少し難しかったが、この沼地が自然のもので、中には電気も水道も通っていないが暮らしている人がいること(もしかしたらセカンドハウスかもしれない)を聞いて、中心街のすぐ横にこんな自然な環境が現存していることに驚いた。ツアー中、時折鴨の親子や白鳥なども顔を出し、乗客らは歓声をあげていた。アミアンを訪れたら、是非このカヌーツアーに参加していただきたい。

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カヌーに乗ってご機嫌なクリスチャン

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※カヌーツアーは季節により運行されない場合もあるため、あらかじめご確認下さい



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フランス生活21日目

2007/04/22(Sun)10:42

Le 22 avril 2007

Hotel Luccaで朝食を取った後、フロントの女性にお薦めのショコラティエを教えてもらう。
彼女によると、街のどちらかというとはずれにある1件の自家製チョコレートを売る店が安くて美味しいという。この日は日曜日のため、お店が13hには閉まるとのことで、さっそくお店に出向き3個買ってみる。

lucca1.jpglucca7.jpg









Luccaの朝食

・コーヒー味のブラックチョコレート
・ガナッシュクリーム入のミルクチョコレート
・花の形をしたミルクチョコレート

支払いを済ませ、早速食べてみると・・”甘い”。
いったいどれだけ砂糖が入っているのだろうか 淡白そうに見えた花の形のそれも随分と甘く、ガナッシュクリーム入りなどはとてもそれだけでは食べられそうにない。唯一、コーヒー味のブラックチョコレートは少しほろ苦くて美味しかった。

お土産に箱詰めしてもらおうと、何軒か回ったけれど、どの店も私には甘すぎ、そして有名店になると先ほどのお店の何倍かの値段に跳ね上がった。結局、一番最初のお店に戻り「箱詰めしたいのだけど、ブラックチョコレートしか入れないで」と念を押してから、好みのものを選んで詰めてもらった。

1箱(5cm×10cm×7cm) 5ユーロ

かなりの量のチョコレートが詰められ、たしかな手ごたえのある箱を片手に「これで5ユーロは本当に安いな。ホテルの女性に後でお礼を言わなくては」と満足の笑みを浮かべる。

またふらふらと歩いていると、綺麗な刺繍のハンカチに惹かれ、1つの店に入った。そこは、雑貨屋のようでアンティークのものから現代のものまで女性らしく品の良いものが並んでいる。ショーウィンドウに飾られていたチューリップの刺繍のハンカチ以外にも、アーテイーチョークやアスパラガス、ミモザなどが手刺繍されたものがあり一目で気に入った。こういう思わぬ出会いはフラフラ歩きの醍醐味である。

最後にフラリと入った「Cathedrale Saint-Sauveur」には価値としては計り知れない装飾やタペストリー、絵が何点も飾られており、この街が裕福だったのだろうことを如実に示していた。

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フランス生活20日目

2007/04/21(Sat)01:40

Le 21 avril 2007

バイヨンヌからパリ行きの電車に乗り、もうすでに2時間程経過しただろうか。深夜0時近い出発だったため、空いていることを予想していたが、車両内は意外に乗客が多く、私の隣にも50歳半ばかと思われる男性が座っている。それでも、いくつか空席があり前に座っていた男性は早々とこの空席を確保して横になっている。これからまだ4時間はかかる。車内は夜の冷たい空気が窓を通り抜け、段々と冷えてきているため、寒くてなかなか寝付けない。
SNCFのホームページで早い時期に購入してあったこの席は、初めて乗る1er(1等)席だったけれど、2等席とさほど変わらないように思う。1等にしたのは、2等よりも値段が安かったからで(普通はもちろん1等のが高い)、特に高級な席に座りたかったわけでもないが、それでも多少期待していたため、弱冠期待はずれだった。

※SNCFのホームページでチケットを購入すると・・・

「SNCFホームページ」
http://www.voyages-sncf.com/leisure/fr/launch/home/

 乗車日より前倒しでチケットを購入する場合、ネット上限定の早割りチケット「Prem's」の対象となることがある。全てのチケットに適用されるわけではなく、乗車区間、購入日、残席数、乗車日、電車の種類等で「Prem's」の対象になる場合とならない場合があるようだ。

購入方法は、SNCFのホームページでTRAINの初期ページより「乗車駅」「下車駅」「乗車時刻」「片道か往復か」など必要情報を入力し次に進むと、自動的に判断され「Prem's」の対象となればその料金が表示される。
「Prem's」のチケットは自宅でプリント(A4用紙限定)できるので、フランス在住でなくてもあらかじめ手元にチケットをおくことができる。通常のチケットの場合、Composter(コンポステ)と言って乗車前に駅に常設してある機械で刻印をする必要があるが、プリントチケットの場合コンポステの必要はない。その代わり、検札時チケットと共にパスポートの提示を求められる。

ちなみに「Prem's」のチケットは変更・返却ができない
厳密に言うと、最近では変更・返却ができないチケットを対象に、変更・返却ができるようにする保険を適用することができるが、それについてはここでは割愛させていただく。

さて、結局ほとんど一睡もできないまま、パリ・モンパルナス駅に到着。そのまま次に向かうベルギーの「Bruges」(ブルージュ)行きの電車に乗るため、パリ北駅に移動する。2時間後に乗った車内は大分暖かく、一度「Lille Flandre」(リール・フランドル)で乗り換えるも、ぐっすりと眠る。と同時に夜行で夜を越す列車に乗ることは二度とすまいと心に誓う。

ブルージュに10時30分頃到着。ホテルまでは徒歩20分程だったようだが、前回の教訓を思い出しバスに乗ることにする。駅内に観光案内所があり、人が列を作っていたので私もそこに並ぶ。待っている間に「バスについては駅の外の窓口で」といった内容が書かれているのを見つけたが、皆の目的はどうやら市街地の地図らしく、それならば私も必要だと並んで”買う”ことにする。

ブルージュ市街地地図 :0.5ユーロ

そう”買う”のである。フランスでは観光案内所に赴くと地図を無料でくれるが、さすが観光地というべきか簡易地図にお金を払ったのは初めてだったけれど、確かに作りはしっかりしている。

次にバスに乗るために案内所でチケットを購入し、何番線に乗ればよいか聞くと「3/13」と答えが返ってきた。この「/」の意味が分からず、もう一度聞くと「3」は乗り場で「13」がバスの路線番号らしい。けれど3番乗り場に13番線の表示はなく、ウロウロと探し回った挙句にバスの運転手に直接尋ねると「12」番線だよといわれる。いやもしかしたら「13」番線でも行けたのかもしれないし「13」には違う意味があったのかもしれない。問題は、案内所のおじさんは「オランダ語」を喋っていたことで、フランス語で「ケル リンニュ?」(何番線?)と繰り返し尋ねる私に「3/13」と書いた紙を渡したおじさんの意図は違うものだったのだろうか。

なんとか「12」番線に乗り、ホテル近くの中心街で降りる。ブルージュ市街の道は入り組んでいて、先ほど買った地図が大いに役に立った。

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「Hotel Lucca」
Naaldenstraat 30 - 8000 Brugge
http://www.hotellucca.be/
1泊(シャワー・トイレ・TV付、朝食込) 65ユーロ

ホテルは今まで泊まってきた清潔だが簡素なフランスのホテルと違い、ロビーは重厚な家具や調度品が置かれている。部屋の鍵をもらい案内される途中、階段や壁に飾られている調度品を見て、きっとオーナーは趣味の良い人なのだろうなと思う。
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部屋はせまいけれど(本当にせまい。おそらく3畳ほどだろうその部屋に、よくベッドと箪笥とシャワールームが配備されたものだと関心するほどだ)、趣味良く整えられており賑やかな通りから1本中に入っているため、とても静かだ。

ともかく、疲れていたのでとりあえずシャワーを浴び少し寝る。

昼過ぎに起きだし、地図を片手に市内を散策する。歩いていると、思った以上に身体が重いことに気付き、途中サロン・ド・テに入り、ワッフルと紅茶をいただくことにする。

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ベルギーのワッフル

少し疲れがとれたため再び街を歩いていると、団体旅行で来ている日本人の方を何組か見かける。それ以外にも各国の観光客が街に繰り出しているのを見て、想像以上にここが観光メッカなのだということに驚く。ブルージュの観光には欠かせない運河沿いの道を歩いていると、いつのまにか人ごみから抜け地元の人が時たますれ違う程度のところにでた。そのまま街を取り囲む河まで歩いていくと、思いのほか外側の道が美しいのに気付く。大きなプラタナスの木の横には、あたり一面に白い花の咲くお花畑があり、ジョギングする人やサイクリングする人も沢山見かけた。風車のある高台に登ると街を見渡すことができるが、更に高いところから見ようと欲を出し、風車に取り付けられた階段を何段か登ったところで突風に吹かれ怖くなってへっぴり腰で降りた。

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ブルージュの風景



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フランス生活19日目

2007/04/20(Fri)02:19

Le 20 avril 2007

朝早くホテルを出て、ボルドー駅行きのトラムに乗るためチケットを買おうとするがトラムC線の前にある2つのチケット自動販売機は両方故障していて、チケットが買えない。結局、他のラインの自動販売機でチケットを買い事なきを得たが、時間が迫っていたらかなりあせっていたと思う。

ボルドー・サン・ジャン駅構内
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2eme class(2等席)の車両

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Voiture(車両)の位置と現在地を確認する電光掲示板

次の目的地はBayonne(バイヨンヌ)。ボルドーからバイヨンヌの車窓は、のっぺりとした田舎の風景で期待に反し随分退屈だった。バイヨンヌに到着し、ロッカーにバックパックを預けようと案内所で尋ねるも、コインロッカーも荷物預り所もないという。ここバイヨンヌでは既にパリ行きのチケットが購入済のこともあり、正午から約午前0時までの12時間を過ごさなければならなかったためバックパックを背負ったまま街を散策することは考えられなかった。駅近くに見つけた2件のホテルで荷物を預かってもらえないかと交渉するが断られ(手数料を払うと条件を出しても駄目だった)、肩に食い込むバックパックを背にトボトボと歩いていると「Ibis」(イビス)の看板を見つけた。イビスはボルドーで泊したアーコールホテルグループの中級ホテルで、駅からは少し歩くようだったが、駄目元で頼んでみようと向かってみる。これで断られたら宿泊料を払ってでも置いてもらおうかというくらい私の肩は悲鳴を上げていたため、イビスで快くOKの返事が貰えたときには涙が出そうだった。

結局、イビスの受付の方は荷物の預かり以外に、バイヨンヌの地図やここから近いビアリッツという海岸のある街の地図、バスの時刻表など色々取り揃えて説明してくれた。あまりに親切な対応に、今後はアーコールホテル一本でいこうかと思ったほどである。

肩も軽くなり、暖かい対応に気持も軽くなったため、はずんだ足取りでバイヨンヌの中心街へ足を向ける。

フランスとスペインの国境にまたがるこの地方はバスク地方と呼ばれ、独特の文化と言葉を持ち、政治的にもかなり孤立した自治を有し独立運動も活発化している。このため、かなりナイーブな面を併せ持つこの地方だが、バイヨンヌの街には何があっても動じることのない力強さのようなものがあり、その大らかなたたずまいにあたたかいものを感じる。

バイヨンヌを歩いていて気付いたことがある。

それは窓から洗濯物が干されているということ
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フランスの全ての町を訪れたわけではないので、もしかしたらそれほど珍しいことではないのかもしれないが、始めて見た光景だった。そんな庶民的な風景もバイヨンヌの味わい深さなのかもしれない。

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バイヨンヌの風景

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バイヨンヌのマカロンとチョコレート

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バイヨンヌ風サラダ

一通り街を周ってみると、バイヨンヌはそれほど大きくないことに気付く。夜までここにいるのもどうかと、海辺のある「Bializ」(ビアリッツ)に行くことを思い立ち、イビスの人に教えてもらったバス停(「Mairie」(市役所)の横)でビアリッツ行きに乗る。

・バイヨンヌ⇔ビアリッツ Ligne1 片道35分程 1.3ユーロ

ビアリッツはいかにもリゾート地の風体をかもしだし、立ち並ぶ建築も高級住宅が多く、街自体も洗練されているようだった。それほど遠くもない場所なのにバイヨンヌと随分雰囲気が異なるのがおもしろい。

私はというと、ここへ来て海が見られたことに異様に感動してしまった。

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ビアリッツの浜辺

海岸は砂浜で、それが砂なことを除いてはニースとよく似ている。海では若者がサーフィンもどきのことにふけっていて、多くの人は浜辺に寝そべってただ肌を焦がしている。
堤防に座って1時間半ほど海を眺めていると、太陽が雲にかくれて急に冷え込んだため、皆帰り支度を始めた。それにならい私も腰を上げ、しばらく街を散歩した後、もう一度バスにのってバイヨンヌに戻る。

バイヨンヌに到着したのは19時30分過ぎ、まだ0時までにはたっぷりと時間があったため街をフラフラとしていると、大きな板を抱ええっちらほっちらと坂をあがる人に声をかけられた。

ボンソワー」(こんばんは)
笑顔でお返しの「ボンソワー

すると、重そうなその板をかかえたまま降りてきて
プヴェ ヴ メプゼ?」(結婚してくれませんか?)

いきなりのプロポーズである。
フランスでは、からかい半分、冗談半分でこの言葉を口にしている人を何度か見かけたことがある。他の街ならば黙ってやり過ごしたかもしれないが、人の良さそうなその表情を見て、この冗談に付き合ってみることにする。

ノン!セ ラ プルミエフォア ク ヌ ヌ ソム コニュ」(いいえ!今日初めて会ったのではないですか)

メ、ス ネ パ アン プロブレム!ヴ ヌ プヴェ パ メプゼ?」(でも、そんなの大した問題じゃないよ。結婚してくれないの?)

このときにはひざまずく演出付きで、二人の演技にも拍車がかかる。一緒にいた彼の友人らしき人は坂の上で笑いながらあきれ顔である。

ノンノン・・・ジュ コア ク ヴ ヴ ゼット デジャ・・・」(ダメダメ・・・それに、あなたもう既にしてるんじゃないの?)

ノーン、ホギャルド。ジュ ヌ ポフト パ (ドゥ バッグ)。アン ランデヴ シルヴプレ」(そりゃないよ~、見てよ。指輪どこにもしてないでしょ?1回でいいから約束しない?)

ア、ボン。メ、 ジュ ドア パフティー ア パリ ス ソワ、デゾレ」(あ、そうなの。でも私今夜パリに発たないといけないの。ごめんね)

ジ ヴェ!」(僕も行く!)

ノーン、セ パ ラ ペンヌ。メ、メルシーボークー、オヴァー」(冗談、必要ないよ(お気持だけ)。でも、(冗談でも)ありがとね、さよなら)

メ、ボン。ヌヴリエ パ ヴォ スリール。ジュ パン イシィ、ヴ プレ ム トゥルヴェー ラ プロシェンヌ フォア」(ん~、分かったよ。その笑顔忘れないでよね!僕、絵を描いてるんだ、次来ても見つけられるよ)

オラ、ジュ パン オシー」(え、そうなの?私も絵を描くんだよ)

コレを言ったために、もう一度最初に戻ってしまい、彼は友人に向かって「聞いたかい?絵を描いているんだって」といったあとすかさず

プフコア ヴ ヌ プヴェ パ メプゼ?」(どうして、僕と結婚できないの?)
おどけたその仕草に思わず二人とも笑ってしまう。

お互いに冗談を言い合っているのが分かっているので、「チャオ」(それじゃ)と軽く挨拶を交わし彼等は坂を登り、私は坂を下った。

夜は教会の横のクレープリーですこぶる美味しいガレットをいただく。

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ハム、チーズ、きのこ、卵、トマトソースのガレット

夜もふけ、預けたバックパックのお礼をいいながらイビスを後にし、パリ行きの電車に乗る。






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フランス生活18日目

2007/04/19(Thu)17:50

Le 19 avril 2007

今日は、ボルドーに戻る日。朝ホテルをチェックアウト後、前日タクシーで来た道のりを帰るだけならたいしたことはないと、駅まで歩くことにする。駅までの長い坂道を登る間、この自分の判断を恨めしく思いながら重いバックパックを背に途中休憩しては歩を進め、やっと駅に辿りついたときには駅のベンチにどっかりと腰を下ろして息を整えなければならなかった。(バックパックがこんなに重くなければ大した距離ではないように思う)

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駅までの道のり

駅にはかなり早めに着いたにもかかわらずボルドー行きの列車は既に停車しており、乗っていいということだったので、誰も乗っていない列車に乗り込み窓を全開にしてムッとした空気を外に追い出した。乗客も少なかったため、4人掛けの椅子を1人でたっぷり使っていると、隣の4人掛けにも同じように1人女性が乗ってきた。電車に揺られながら須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」を読んでいると、次はイタリアもいいかもしれないななどと考え、彼女のエッセイに登場するミラノの霧の壁を想像する。

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「ミラノ 霧の風景」

途中、50歳位だろうか、1人の婦人が乗ってきて、2人掛けの場所なら優に10箇所は空いているその車両で、あえて隣の4人掛けの女性にむかって、「あなた、この荷物上にあげないの?」と不機嫌そうに彼女の前に腰を下ろしていた。彼女の荷物は私のバックパックよりも、また一回り大きく一目見れば女性の腕では棚に上げるのは至難の技だということが分かるほどパンパンに膨れ上がっている。暫くしてその婦人が用を足しにその場を離れた際に、彼女と目があったので「こんなに場所があるのに、お気の毒様」というと、肩をすくめながら仕方ないわよ、よくあることだわといった風に首を降っていた。戻ってきた婦人がその後、携帯で何人かと電話しながら冗談を言っている姿を見て、どこにでも自己中心的な人というのはいるものだなぁと自分を振り返ってみたりする。

ボルドーに着くと、駅出口のすぐ横に観光案内所があったため、ここでボルドーの地図と中心街への行き方を聞く。中心街へは、トラム・バス・タクシー等色々行き方があるが、私の泊まるホテルはトラムからさほど遠くないところにあったので、これに乗ることにする。

■トラムのチケットの買い方
トラムの乗り場の横に自動販売機があるので、ここでカード、もしくは硬貨で購入可能
トラムにはC番線などラインの番号があるが、チケットはどこの自販機で買っても使用可能。
1回 1.3ユーロ

トラムCに乗り、中心街のカンコンス行きに乗る。終点のカンコンスで降り、劇場の前を通り過ぎて1本入ったところに目的のホテルはあった。本当に街の中心街のようで、便利な立地なようだ

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「Hotel du Theatre」
10 rue de la Maison - Daurade 33800 Bordeaux
Tel : 05 56 79 05 26
1泊(シャワー、トイレ付) 40ユーロ
http://www.hotel-du-theatre.com/index.html

部屋も清潔、受付のスタッフもとても感じが良く、昔教会だったという映画館で映画が見たいのだと言うと、色々と評判の書いてあるチラシを読みお薦めを教えてくれた。

街に繰り出し、以前ボルドーに住んでいた友人が教えてくれた彼女曰く「ボルドーNo1」のケバブ屋「Coluche」へ。彼女お勧めの「ケバブ サラダ・オニオン・トマト付き ソース・ブランシュとミント」を注文。
ケバブは友人のいっていた通り、本当に美味しく羊肉はとろける柔らかさで、かなりジューシー。サイズもかなり大きく20代前半だったらペロリといけそうだが、今の私には少々キツイ。けれどこれでジュースをつけて5ユーロなのだから、文句なしである。

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ケバブ サラダ・オニオン・トマト付き ソース・ブランシュとミント

少し食べ過ぎたためガロンヌ川沿いを散歩していると、広い広場に水がたまりそこに対面の建物が映っている場所があった。この広場では多くのカップルや家族が思い思いに過ごしているようだったので、私も腰を下ろしガロンヌ川を眺める。しばらくして振り向くと、先ほどまで水面だったその場所は一面が煙で覆われて、その中を皆がキャッキャとはしゃいでいる姿が目に入った。どうやらドライアイスのようなもので煙を出す何かの演出のようで、突然の出来事に大人子供構わず目を輝かせていた。

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「Place de la Bource」 の 「Mirroir d'eau」
普段は水面に道路を挟んだ旧証券取引所が映って、鏡のようになっているらしい

夕食は、これもまた友人お勧めのレストランに行くことにする。8時頃「Le petit commerce」というそのレストランに行くと、既に店は超満員で店員が忙しそうに給仕していた。処狭しと並べられたテーブルの1つになんとかありつき、さて注文しようと壁に掲げられた黒板に目を通すが、何しろここは魚介料理が中心らしく、分からない単語が次から次へと書いてある。辞書を引き引き何にしようか考えていると、隣に座るマダムが「大丈夫?選ぶの難しくない?」と自分達の食べている料理の名前を教えてくれ、「なにしろ何を食べても美味しいから大丈夫」と太鼓判を押し、ワインまでご馳走してくれた。

悩んだ末「les crevettes a la plancha」(エビ焼き)と「les sardines grillee」(イワシ焼き)を選ぶ。注文は決まったものの、このオーダーをするまでに優に20~30分ほど待たされ(それほどにこの店は大繁盛なのだ)、注文したころには私は見る予定だった映画を諦めなければならないことを覚悟した。それでも、運ばれてきた二つの料理は素晴らしく、思わずフランス人風に口に手をあて「チュ」と音を立てて美味しさを表現したいほどだったため、大変満足な夕食だった。教えてくれた友人に感謝しながら、隣のマダムにワインのお礼を言い、店を後にする。

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エビ焼きとイワシ焼き

「Le petit commerce」 22,rue du Parlement Saint-Pierre

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ボルドー夜の風景

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フランス生活17日目

2007/04/18(Wed)14:31

Le 18 avril 2007

5h50に起床。昨日買っておいたパン・オ・ショコラと水で軽い朝食を済ませ、駅で珈琲を飲みながらSarlat(サルラ)行きの電車を待つ。ホテルのマダムはとても感じが良く、部屋も大変清潔で気に入ったが、チェックアウト時に対応してくれたフロントの男性は、とってもいない朝食料金を含めて請求しようとしたため苦情を言ったら、慌てて新しい請求書を作っていた。少し意図的なものを感じたため今回金額を確認したけれど、そうでなくてもフランスではわりとこういった計算ミスは多い。金額は面倒でも確認した方がよいかもしれない。

ところで、ペリグーの駅で電車を待っていて危うく乗り損ねるところだったかもしれないと思ったことがある。私の待っていた電車は掲示板で表示されていたVoie E(E番線)に到着予定だった。いや、確かに予定通りE番線に到着したのだ。したのだけれど、このE番線が曲者で、気をつけないとうっかり乗り過ごすことになりそうな場所にある。そのとき私はE番線の標識に従い、地下をくぐって片側に線路があるだけのホームにたどり着いた。1つしか線路がないのですっかりそこだと思い込んで座っていたけれど、なんとなく到着が遅いなと思って掲示板を確認したところ、そこにはVoie D(D番線)と表示されている。確かにE番線の標識に従ってきたのにどういうことかと視線をめぐらせてみると、小さいとってつけたような看板で「E番線はこちら」と書いてある。なんと壁だと思っていた、その後ろにはもう1つホームがあり、そこに目的の電車が到着するところだった。

ペリグーからサルラ方面へ旅行予定の方はくれぐれもご注意を!

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ペリグー駅

到着した電車に乗り込み、途中「Le Buisson」(ル・ビュイッソン)で乗り換えサルラまで約1時間40分。この区間の列車からの景色は素晴らしく、とりわけ途中で停車した「les Eyzies」の駅からは崖の中腹あたりに岩をそのまま削って家のようになっているものがあり(トルコのカッパドキアを思わせる)、あれは教会かなにかだろうかと見入っているうちに列車が動き出し、写真を撮るのを忘れるほど興味深い町だった。

サルラに到着し、歩いて旧市街のホテルまで行こうかと道を尋ねるが、駅前の花屋の店員は「結構複雑だからタクシーで行ったほうがいいよ」とあまり教える気がないようだった。たしかに旧市街までは歩いて結構な距離があると聞いていたので、仕方なくあらかじめホテルから伝えられていたタクシー会社に電話し、駅まで来てくれるように頼む。10分ほどでタクシーが到着し、ホテルまで送ってくれる。

タクシー サルラ駅→旧市街にあるホテル「Hotel des recollets」 8ユーロ

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「Hotel des recollets」
1泊(シャワー、トイレ、TV付、税、朝食込) 50.60ユーロ
4,rue J.-J. Rousseau 24200 SARLAT
Tel : 0033(0)5 53 31 36 00
駅から歩いて約20分

ホテルでは時間が早いためまだ部屋が用意できていなかったので、フロントに荷物を預け、サルラの街を歩くことにする。サルラは美食の街でも有名なところだが、この日は運良くマルシェがやっていてこの街独特の食材に遭遇することができた。

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サルラのマルシェ

途中、苺だけを売っているお店を見つけ、1パック買ってみる。
 苺1パック 2.5ユーロ

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いちごのみを売る店

マルシェを練り歩きながら苺をほおばってみると、その苺はこれまでフランスで食したものの中ではダントツに美味しく甘く香るものだった。あまりの美味しさにもう一度同じお店に戻り、「もう1パックちょうだい」といって買ってしまったほどだ。この苺、品種をGariguette(ガリゲット)と言って、日本で最近良く見かける章姫(あきひめ)に形が良く似ている。

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これがそのガリゲット

それ以外にマダガスカル産のバニラを専門で売る店、特産の胡桃を加工したお菓子を売る店、同じく特産のセップ茸を売る店など面白いお店が目白押しで、ついつい手が伸びてしまった。

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バニラを売る店

途中ライヨールの刃物を広げようとしているおじさんがいたので、眺めていると「デモンストレーション見たいかい?」と聞くので、「うん」と頷くと、まさにバナナのたたき売りならぬ「ライヨールのたたき売り」が始まった。

昨年45ユーロで売られていたこの大きめのナイフ、今ならこれがなんと20ユーロ!しかもプレゼント付きだよ。ほら、ごらん。この皮製のサックもつけて20ユーロ。あなたは今日の最初のお客だから特別に今ライヨール社でもっとも売れているこのシリーズの小型ナイフもつけちゃうよ。これをつけても相変わらず20ユーロ。それだけじゃないよ、さらに持ち運びに便利なこのナイフもつけようじゃないか。全部袋つきだよ。え~い、さらにこの小型ナイフ付きのキーホルダーもつけて、はい20ユーロ! はい、買った買った~

あまりの”おまけ”の多さに、「なんと気前の良いお店だとう」と思いながら、同時に「ライヨールのナイフってこんな値段で買えたっけ・・シリーズによるのかなぁ」と半信半疑で聞いていると、声を聞いて集まってきた周りのお客の中から、すかさず「私、それ買うわ!」と大柄の叔母さんがずっしりと重くなった袋を提げて帰っていった。
地元の人が買うのなら間違いないのかな・・とコルク抜きの着いたナイフを手に、これだけでは売ってくれないのかと聞くと、セットでしか売らないとの答え。「ふーん、じゃあいらない」ときびすを返して、歩いていると街中にナイフの専門店を見つけた。ショーウィンドウ越しに覗いてみると、ライヨール社製のもので100ユーロ以下のものなんて1つも置いていない。手元が象牙や骨などで出来ているせいで高いのだろうか?と先ほどのナイフに似たものを探しても、やはりそんな安いものはない。すると、店内から「なにか気になるものがあるの?」と声をかけられたので、先ほど見かけた「○○○の叩き売り」のことを話すと、「あれはツーリスト用に売っていて、本物じゃないから絶対に買っちゃだめよ!」と念を押された。そうか、やっぱりまがい物だったのかと思いながら、しかし切れれば問題もないし、あの大柄の叔母さんは「ライヨールのナイフ」でこれから先リンゴやチーズを切って満足するのだろうと思うと、それもまんざら悪くないなと思った。

ホテルに戻ると、すでに部屋の準備が整っていたため少し部屋で休憩をとる。
1h頃昼食を取るために、再び街に出て友人がサルラに言ったら絶対食べてみてと絶賛していた「セップ茸入りオムレツ」を求めていくつかのレストランを見て回る。
いくつかのレストランで食べられるようだったが、雰囲気も値段も程よいと思われた1つのレストランを選んだ。
レストランの名前は忘れてしまったが住所は「4,rue fenelon 24200 SARLAT」。自分で言うのもなんだが、見る目があったようで、このレストランのオムレツはかなり美味だった。オムレツもさることながら、添えられたサラダの葉の新鮮さ、そしてドレッシングの美味しさにも感激し、最後に頂いたCafe cremeも食事の最後を締めくくるのに最高の味だった。

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セップ茸のオムレツ

サルラはフォアグラも特産品で、街の各所各所にフォアグラを売っているお店が目立つ。折角きたのだから1つくらい買って帰ろうと小さな缶を1つ購入
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「Broque de fois gras de oie」 5.6ユーロ
うしろは「Confiture de Mio」(ミオのジャム)

サルラは美食の街でもあるが、様々な様式(中世、ルネッサンス、古典)が1つの邸に混存する建築物を残す歴史的に見ても貴重な街である。夜静かになった市街を歩いていると、この街独特の雰囲気に時代が混ざり合って止まっているような感覚を覚える。

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この街で、「扉」だけを撮ってみようと思い立ち色々な「扉」を写真に収めました。緑と狼のホームページで後ほどアップしますので、気が向いた方はどうぞご覧下さい。

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フランス生活16日目

2007/04/17(Tue)11:59

Le 17 avril 2007

6h30に起床、EtapHotelを後にする。前日に清算を済ませてあったので今朝はフロントにも寄らず(人がいなかったこともあり)そのまま外へ出た。

8h14のPerigueux(ペリグー)行きの電車をとるために駅に行ったところ、掲示板にその電車の情報が乗っていないのに気付く。それ以降の電車の情報は既にのっているため時間が早すぎるわけでもない。時間がずれたのかと案内所へいって確認すると、「バスに変わったから駅の裏側に出て待っていて」と明るく言われる。そうか、良くあることなのだ・・と不本意ながらも納得し指示された場所に行ってみるが、バス停らしきものが何もない。不安になり、通りかかった人に「バス停はここでいいのか?」とたずねると、「普通は駅前だから逆だよ」と言われ「けれどこの出口から出ろと指示されたのだけど」などと押し問答していると、同じ電車のチケットを持っているらしき女性が「もしかしたら、一緒の電車ではないかしら、それならここで待てと私も言われたから間違いないわよ」と言って私を安心させてくれた。

8h25にバスがくるというので待っていると、同じような境遇の人がポツポツと増え、しまいには十数人になっていた。しばらくすると、先ほど私ににこやかに電車の変更を告げた国鉄員が現れ、なにやら説明をしている。隣の女性に何を言っていたのか尋ねると、原因は地方によるgreve(ストライキ)であること、バスは遅刻し8h50に到着することなどを教えてくれた。

『greve』(グレーブ)

greve・・・ フランスでは良く聞く言葉だけれど、この迷惑な労働者のストライキに遭遇したことはこれまで一度もなかった。そのため、「ああ・・これが噂の・・」「やれやれ、こまったものだ」などと思っていると、周りにいる人々も口々に「ほんとに我慢できないよ」とか「信じられない」とか言っている。フランス人にとっても、自分の都合を余儀なく変更されるこの種の出来事は迷惑この上ないようである。

ここで面白いのが、同じ国鉄員であるボルドーの駅員はすまなそうな顔をしながらも、「自分達も状況が把握できていないから、本当に困っているのだ」と言うのに対し、周りの人々は苛立ちながらも、彼の立場を理解しており、むしろ同情すらしていたところである。日本で言う”連帯責任”という感覚は、こちらでは理解されないかもしれない。

ところで、私は10hからペリグーで自動車を借りる予定になっていた。遅れる場合は連絡して欲しいといわれていたので、携帯で事務所に電話し遅れそうだと理由を告げると、「それでもあなたのために車は取ってありますから、問題ありませんよ。わざわざありがとう」と返され、ほっとする。

結局9時過ぎに”駅前”に到着したバスに乗り、霧の立ち込めるなか山間の道を進み、結局ペリグーに到着したのは11時頃だった。早くレンタカーを取りにいきたかったが、この地方のストライキと聞いていたこともあって、明日乗るつもりの電車がちゃんと動くか駅員に確認したところ、こちらの話しも聞かず「遅延証明書」(Attestation de retard)を作って渡される。「そうじゃなくて、明日の電車を予約しているのだけど、これは動くの?」と聞くと、駅員同士顔を見合わせて「そんなことは今分からない」と肩をすくめ「明日の朝、いや今日の夜ごろには分かっていると思うからまた確認しに来て」といわれる。本当にアバウトでもういい加減にして欲しいとうんざりしながら、まぁ明日のことは明日考えればいいと駅を後にし、レンタカーを借りにいく。

駅前すぐの場所にあるHertz(ハーツ フランス語発音ではエルツ)に入ると、待ってましたとばかりに感じのすこぶる良い店員が色々と手続きをしてくれた。ラスコーまでの道のりは簡単かと聞くと、「ああ、とても簡単だよ。この駅前の道を進んで、あとは”Prive(プリブー)"行きの看板に沿ってすすんで"Theon(テオン)"の信号で"Montignac(モンティニャック)"方面にすすむだけだよ」と説明してくれる。

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■レンタカー手続き■
①日本から予約
②現地で借りる際にまずカードの保障をとるために同意契約で700ユーロでカードが切られるが、これは車を返した際にキャンセルされ無効となる
③契約の際に任意保険に入るか聞かれるため、希望があれば加入する
④契約書を作成し、車の説明を受けて、現時点で車に傷がないことなどを確認し同意書にサイン
⑤乗車
⑥返却するまに指示されたガソリンを入れる
⑦返却。車を点検後清算。レンタカー料金、保険料等新しくカードが切られ、最初の700ユーロのカード契約はここで無効となる

■最終内訳■
車種:Modele RENAULT CLIO Ⅲ
料金:1日レンタル料 28.68ユーロ
    車両・盗難保険 28.52ユーロ
    傷害保険 6.69ユーロ
    道路税 2.1ユーロ
    フランス国税 12.93ユーロ
    (トータル) 78.92ユーロ

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Clioの横顔とおしり


ドキドキしながらファーストドライブ in フランス

初めての左ハンドル、右側通行、ロンポワン(交差点が円形になっているようなもの) 

幸いマニュアルは日本で十数年運転しているためあまり抵抗感はない。いきなりの坂道発進ながらも順調に発信し、運転を開始。最初の曲がり角でいきなり一方通行の道に入ろうとしヒンシュクをかうが、その後は順調にモンティニャックへの行程を進めることができた。途中2、3ヒヤッっとすることはあったものの、Hertzの店員のいっていたとおり道はとても分かりやすく、田舎道のため新緑や牧場で草を食む牛や羊を眺めることができ、大変気持がよい。この季節はちょうどglycine(藤の花)が満開を向かえ、そこかしこで紫色の藤が壁をつたい、柔らかい香りをはなっていた。フォアグラの産地であるこの地方では、フォアグラ生産農家の多くも看板を掲げており、興味があれば足を向けるところだけれど、無理やり飼料をつめられている家禽を見る気には到底なれず、それでもフォアグラは美味しいと思う私は矛盾しているなどと思いながら横を通り過ぎる。

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モンティニャックまでの道の風景

『LascauxⅡ』(ラスコー2)
 ラスコーの洞窟を形状、テクニックと共に極力元のものに近い形で復元されたコピー
 元来のラスコーの洞窟は現在完全に閉ざされており、唯一管理者のみが入れることになっている。

モンティニャックに到着し、早速ラスコー2の洞窟見物のためのチケットを買うために観光案内所に向かおうとするが、車をとめていいか訪ねた初老の男性に14hまでは案内所が昼休みで閉まっていると聞き、近くのレストランで昼食を取ることにする。

14h過ぎに案内所に行くと予約は15hまでいっぱいで、15h10のツアーに予約を入れ洞窟までは車で15分程のところにあるため、街中で少し時間をつぶす。

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ラスコーとこの地方のハガキ

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ラスコー2の駐車場
「この場所で起きた、いかなる盗難・問題について一切責任を負いません」
「ラスコー2の訪問者以外駐車禁止」
と書いてあります

早めにラスコー2に到着し案内所に赴くと、日本人の団体客の方々も見えていた。案内所の係りの人が「この人達と一緒に見れば日本語で案内が聞けるから時間をずらすか?」と親切に申し出てくれたが、レンタカーの返却の時間もあったためできるだけ早く見物したかったので、丁重にお断りし順番を待つ。

やっと順番が来たころには、15h30を回っていて、先ほど断っておいて良かったと思う。
ラスコー2に入ると、ひんやりと湿った空気がまとわりつき、厚手のジャケットを着ていたにもかかわらず体をさすりながら足を進める。まずどういった経緯で発見されたのか、どういった構造になっているか、なぜラスコー2しか見られなくなったのか、どういう手法、材料で壁画が描かれているのかなどの説明を受け、次に実際に模造された洞窟へと進んでいく。洞窟は非常に良くできており、現物を見たことがもちろんないのでそっくりなのかどうかは分からないが、凹凸を利用して描かれている部分や、地層の色を利用して描かれている部分、狭い部分に折り重なるように描かれている牛や馬などの動物は、写真で見るものとはやはり違う感動を伝えてくれる。

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ラスコー2の案内所

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ラスコー2の入り口(洞窟内は撮影禁止)

思ったよりも狭い洞窟内を40分ほどかけてじっくり案内された後、各自解散。私は早速車に乗ってペリグーに戻り、ガソリンを入れて自動車を返却する。

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道路標識
青色が高速 緑色は一般道

翌日も電車の時間が早いため、駅前でホテルを探そうと、Hertzの方に聞いたホテルを訪れて部屋を見せてもらう。25ユーロだという破格のその部屋自体はトイレはないものの悪くないななどと思うが、その部屋の隣にどうやら管理人の部屋らしきものがあり、中はちらかり放題に散らかっており、ベッドの上で猫が餌らしきものを食べている姿を認めて他を探すことにする。

すぐ近くにあったホテルに入り、また部屋を見せてもらうと、そこは非常に清潔でバスタブ・トイレもついており、ベッドも3つあるにもかかわらず料金は1人分でよいという。先ほどに比べると54ユーロと決して安くはないが、ダニなどにアレルギーのある私にとっては清潔優先、ここに決めることとする。

運転の疲れもあってか、ぐっすりと就寝。

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フランス生活15日目

2007/04/16(Mon)03:01

Le 16 avril 2007

今日はアンジェ出発の日。
朝起きて、出発の用意をすませ、キッチンに行くとキャトリーヌが食事をしながら待っていてくれた。

朝食をとりながら、彼女は「もう2~3年したらパリの近くの街で住むつもりでいるのよ」と今後の人生設計について教えてくれた。今のアンジェの家はもう少しでローンが終わるので、そのまま残し貸家にするつもりだという。自分達の買った家には住まず、自らにとってより快適な場所に移るつもりだという彼女は、自分の暮らした家への執着よりも、新しい街を発掘することを楽しんでいるようだった。

余裕を持ってキャトリーヌの家を後にするつもりだったが、時間を10分間違えていたことに気付き、小走りで駅まで行き、扉の閉まる直前にようやく電車に乗り込む。
La Rochelleあたりからスペインかメキシコか、とにかく肌の色が少し浅黒い青年二人が乗ってきた。大きな目をしたその美しい青年達は、一見物静かそうに見えたが、暫くすると一人の青年が何かをいい、それに対しもう一人が返答するという問答が続いた。結局二人の問答は、彼らが乗ってから降りるまで、たっぷり1時間以上は続き、耳にキーンと響く機関銃のようなその喋り口調は、私を含め同室の二人の乗客をも明らかにいらだたせた。彼らが去った後、同室の男性は「あまりにも長かったよ」と肩をすくめ、私は大きなため息をもらさずにはいられなかった。

ボルドーに到着し、とりあえず今日の宿泊先である「Etap Hotel」(エタップ ホテル)に向かう。翌日が早い出発のため、あらかじめ駅前のホテルを予約しておいたので、フロントで宿泊費を払うと、すぐに部屋をあてがわれた。部屋へはフロントで教えられたコードを入力して入る。エタップ ホテルはアーコール ホテルグループの中でもランクの低めなホテルだが、室内はとても清潔で、スタッフの人も感じが良いため快適に過ごせる。

 Etap Hotel Bordeaux st-jean 1泊(シャワー、トイレ、TV付) 46.30ユーロ

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この夜飲んだガス水「salvetat」
口の中で泡が大きくパチパチはじける感じ



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フランス生活14日目

2007/04/15(Sun)00:45

Le 15 avril 2007

今日は昨日のお礼に、モーラン家の皆様とトマスにちらし寿司でお返し。皆美味しいといって食べてくれる。

15hに昨日約束したロホンスの家にお邪魔する。彼女はかつてアンジェ在住だったアーティスト ジョン・ジャックの元で2週間の研修をした際の仲間で、私の絵を買ってくれたクライアントでもある。

ロホンスの家に行くと、彼女の夫、息子のヴァレリオン、娘のマド、そしてノルマンディから来ているという彼女の母が出迎えてくれた。マドは末の女の子で母譲りの大きな青い目をしていて宝石のよう。その美しい容姿とは裏腹に彼女の歩き方は、まだ1歳と少しという年齢のためぎこちなく、折り曲げた左足だけを使って地面を這うようにして進む姿はゴリラを思わせた。

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マド

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ヴァレリオン

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ロホンス家のみんな 長女のミアと猫は外出中

ロホンスがアンジェ美術館のチケットをくれたので、その後中心街にあるそこに赴く。企画展では「LANCELOT-THEODORE TURPIN DE CRISSE」(ランスロ・テオドール・チュルパン・ド・クリセ伯爵)という18世紀~19世紀にかけての画家の展示が執り行われており、いかにも古典的な作品が並べられていたが、なかなか見ごたえは十分だった。とりわけ、まだ色のつけられていないデッサンでは、紙に残る規則正しいうっすらとした線に、偉大な画家も同じ人間なのだと少し安心感と親近感を覚えた。

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フランス生活13日目

2007/04/14(Sat)11:05

Le 14 avril 2007

今日は10時からキャトリーヌの絵のクラスがあるというので、部屋を明け渡すために8時に起きて、家から2分の場所で毎週水曜と土曜に開かれるマルシェへ足を向ける。

一番の目的はBIOのカフェ・マカロンだったけれど、例のパンを少ししか置かず、アンジェにしては少しきどった感じのパン屋は店を構えておらず、「あ、そうか、あのパン屋は水曜だけの出店だったっけ」と思い出す。
それでも、懐かしいマルシェを歩くのはとても楽しく、昔なじみにしていたお店でモーラン家で作ろうと思っているちらし寿司の材料を買う。
・卵2つと牛乳 0.8ユーロ
・インゲン100g アボカド1つ 1.5ユーロ

さらに練り歩いていると、絵の研修で一緒だったLaurence(ロホンス)にバッタリ会う
「え?何してるの?」と心底驚いた顔でたずねる彼女に、1ヶ月のうち5日間をアンジェで過ごすために来ていることをつげ、翌日の昼過ぎに彼女の家を訪れる約束をして別れる。

昼からは語学交換をしていたSithi(シティ)と既に約束が取り付けてあり、彼が家まで迎えに来てくれた。一緒に中心街に行き念願のガレットをいただく。

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シティ au cafe

■アンジェお勧めのクレープリー
 Creperie Saint-Aubain(クレープリー・サン・トーバン)
 お勧めガレット:epinard , fromage , salade

昼食後、シティと映画館で”エディット・ピアフ”の生涯を描いた「La mome」(ラ・モーム)を観る。
彼女の生涯を全て語っているわけではもちろんないけれど、不幸であり幸福だった彼女の一面を垣間見た気がして、興味深かった。エディットを演じている女優のMarion Cotillard(マリオン・コティヤール)の演技は素晴らしい。

夜は、滞在先のキャトリーヌの息子である、セバスチャンが仕事場の同僚のトマスと一緒にフルコースを作ってくれるという。何を隠そう、彼らはミシュランの三ツ星レストランである”ピエール・ガニエール”パリ店で働いている。セバスチャンはサーバーで、トマスは料理人。今回の料理はこのトマスがレシピを担当。自然とこちらも期待が高まる。

ここでメニューを紹介

1.Entree(前菜)
  赤身マグロ 赤ピーマンとアーモンドソース 醤油と生姜のソース添え
2.Poisson(魚)
  カサゴのカレーソース カブラ添え
3.Viande(肉)
  豚のグリル 荒く崩したジャガイモとエシャロット添え
4.Granite(シャーベット)
  カシスのグラニテ
5.Viande(肉)
  牛肉のコンフィ ラヴィオリとプチトマト添え
6.Fromage(チーズ)
  ロックフォールクリーム カシスとマンゴーのソース添え
7.Dessert(デザート)
  キャラメルとマカダミアナッツ入りチョコレートムース
8.Dessert(デザート)
  珈琲ムースとゼリーのお菓子 メレンゲ添え

それは、もう!素晴らしいお料理、味も見た目も。
ただ・・・量が、半端ではない。
1~4あたりまでは天国のようだったが、5~8になるとはっきり言ってお皿との格闘。
けれど、こんな手の込んだ素晴らしい料理を振舞ってくれた二人に心から感謝。ありがとう、セバスチャン、トマス

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本日のサーバーとキュイジニエ



 


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フランス生活12日目

2007/04/13(Fri)21:49

Le 13 avril 2007

今日は、アンジェの芸術学校で一緒だったアンヌに会う。

芸術学校といっても、夜間の一般人向けのコースで誰でも簡単に入れるが、その内容は非常に濃い。そこに登録していた日本人は私1人で最初は溶け込めるか不安だったが、そんな時、声をかけてくれ、2回目以降毎回私のために場所をとっておいてくれたのがアンヌだった。

アンヌは講師の先生がやるという個展にも一緒に行こうと誘ってくれ、日本へ帰国する際には私のために友達のマリーズと親しい友達を呼びお別れ会を開いてくれた。元気で、底抜けに明るくて、けれど深いところまで見つめるアンヌの深い目の色が私は大好きで、もうすでに50は過ぎているだろう彼女をいつも美しい人だなと思っていた。

前日の夜、アンジェのギャラリー・ラファイエット前で待ち合わせをしましょうと言った私に、「わかったわ、香水屋の前よ!香水屋の前」といって元気よく電話を切ったアンヌは以前とまったく変わっていなかった。

そして、今日待ち合わせの場所に立っていた。しばらくするとニコニコとしながらワッと驚かせようとでもするように忍び足で近づいてくるマダムが当のアンヌだと最初気づかなかった。それほどにアンヌの印象は変わっていた。2年半前には真っ黒で肩まであったアンヌの髪は真っ白になり、耳の上でばっさりと切られていた。
けれど近くで見たアンヌはやはり以前のままで、私は美しさが増したなと思った。

そんなアンヌのプジョーに乗って、彼女のまだ完成していない新居まで行く。
すると、アンヌの息子のジャン・フランソワの奥さんであるカミーユが彼女の妹と生まれて1年と4ヶ月のトリスタンをつれて散歩に出かけるところだった。

maisonanne1.jpgmaisonanne2.jpg









アンヌの完成がいつに分からない新居

カミーユは私が行っていた、語学学校の先生でもあり、今でもトリスタンの成長を手紙で知らせてくれる大切な友達だ。彼女にトリスタンを紹介され、初めて写真以外で会うことのできた小さいプリンスは満面の笑みで笑いかけてくれた。

その夜は、アンヌ特製のサラダやデザートでアンヌの彼のアンジェ、アンヌの息子のジャン・フランソワ、そしてカミーユとトリスタンと共に(トリスタンは途中で寝たけれど)食卓を囲み、深夜まで過ごす。
アンヌと別れるとき、「またね」といいながらお互いに抱き合ったときの彼女の温かさは一生忘れないだろう。

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アンヌとキャミーユ  ジャン・フランソワとパパに怒られ泣くトリスタン

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トリスタンと入浴 船がお気に入り


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フランス生活11日目

2007/04/12(Thu)21:13

Le 12 avril 2007

朝バナナとパンとジュースをもらい、クリスチャンの家を出る。
バス停にてビズーでお別れ

「ビズーについて」

ビズーは日本でいうところの挨拶
握手のようなもので、知人でも知らない人でもとりあえず、話すことになったらビズーする。
ただし、男同士は握手の場合が多く(初対面以降だとビズーもするよとパリのアーティストが言っていた)、男&女 女&女の場合にホッペを重ねあいながら口でチュッ チュッと音を立てる。
この回数も人や地方によってさまざまで、多くの場合は1回ずつ左と右といった具合だが、ときには2回ずつ同じことを繰り返す。

なので、あ、相手がまだ続けそうだなぁと思ったらこちらもそれに応じると良い

ちなみに口は基本的にはくっつけない。
けれど、たまに口をべったりくっつけて、なおかつゆっくりとビズーする人もいるので、なかなか侮れない。

このビズーの習慣、私は結構好きである。
ホッペを重ねる行為で、お近づきになる時間がなんだか少し短くなる気がする。

しかし、こちらがアジアンだと見て取ると、紳士的もしくは保守的な男性は往々にして握手で挨拶することも多い。そういった場合、打ち解けるのも時間がかかる気がするのは私だけでしょうか?

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さてさて、話を戻して、Amians(アミアン)を発ったあと、Paris nord(パリ北駅)に到着。
地下鉄で移動するために10枚セットの回数券 Carnet(カルネ)を買う
窓口に並んで「アン カルネ シルブプレ」といえば買える。

■Carnet 10.9ユーロ

Paris Montparnass(パリ モンパルナス駅)に向かう。
モンパルナス駅についてトイレに行きたくなったので、列車と同じフロアの待合室の奥にあるそこにいき、財布を見るが(公共の場所では基本的には有料のトイレが多い)、10ユーロ札しかなく、人もいなかったので仕方なくヨーグルトを買ってお金をくずす

■トイレ 0.5ユーロ (場所によって異なります)

次の列車をとって、目指すは前に住んでいたAngers(アンジェ)
高速列車(TGV)でおよそ1時間30分の距離にある。

途中、列車の中で、すごいイビキをかいて寝ているおじさんがいた。
隣のマダムと顔を見合わせ「すごいわねぇ」という感じに肩をすくめたりしていると、検察がやってきたので、チケットを用意して待っていると、私たちの手前のそのおじさんはコントロールの人に向かって「うるさい」だの「ボルドーに行くんだ」などと言っている。私たちの乗っている列車はボルドーには行かない...。

しばらくすったもんだを繰り返し、結局大声で抵抗するそのおじさんをおいて国鉄員は去っていった。そのかわり、3人ほどの警察を伴い戻ってきて事情聴取が始まった。おじさんは警察官にむかって「なんだ、あんたらテロリストか?」などと言っていたようで警察官達もあきれぎみ

結局、そのおじさんはお金もチケットも身分証明書ももっていなかったようで、お縄になった様子だったけれども身体検査をうけている間「サンタルチーア」「サンタルチーア」と何度も叫んでいた。

アンジェに着くと、知っている街ということもあり心底ホッとする。そのまま、駅から歩いて5分ほどの場所にある前お世話になっていたCatherine(キャトリーヌ)の家に向かう。ここで4泊お世話になる予定。

久々の再会
キャトリーヌ、セバスチャン、アデル なにも変わっていない。
でも実際にはいろいろと変わっているようで、キャトリーヌは「この2年の間にめまぐるしく私の周りが変わったのよ」と嬉しそうに、少し寂しそうに呟いていた。

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キャトリーヌ

ここで、私のお薦めのガス水を紹介します。

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名前はQUEZAC(ケザック) 値段は普通のスーパーで大体0.65ユーロ

味、泡の感じ、バランスなどが私にとても合っていて、前はこればかりを飲んでいました。
残念ながら日本では見たことがありません。ペリエやバドアなど日本でも手に入りやすいガス水もおいしいですが、せっかくですからいろいろなガス水を試してみるのもお薦めです。

アンジェでは書くことがあまりに多すぎるので、今日はこの辺で。

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